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表現の自由支持者としては悲しい判決ですね。
問題は、「ヘイトスピーチ」と聞くとみんな自分の中の定義の「ヘイトスピーチ」を考え、「それはいけないことだ」と思ってしまい、安易に「ヘイトスピーチ反対、政府は取り締まるべき」と考えてしまうのが大問題かと。そりゃ誰だって一定の人々の悪口を言うことは悪いことだと考えるし、ないほうがいい。でもヘイトスピーチ問題の論点はそこではない。
ヘイトスピーチ規制の最重要点は、「政府がヘイトスピーチとはなにかを定義し検閲する力を有するべきかどうか」ということです。これが分かっている人がほとんどいない。
たとえば現行の欧米文化の一部では、男女の生物学的差を語るのは性差別であり、ヘイトスピーチだと考える思想運動があります。これが一般的になれば(左派思想の強い都市部ではなりつつあります)、男女を区別してその生物学的傾向や違いを語るのもヘイトスピーチだとされてしまう可能性だってあります。
あるいは人種的な能力差が科学的に事実でも、それを語ることはヘイトスピーチだとされることも十分に現状の傾向からはあり得る。
科学的事実でも、その時代の思想がポリティカリーインコレクトだとすることで、ヘイトスピーチとされてしまい、議論することすら許されない社会になりかねない。・・・もうなりつつあるんです。
政府だろうとアカデミアだろうと、誰にもなにが「ヘイトスピーチ」かと定義し論者を黙らせる巨大な力を有すべきではない。
本当のヘイトスピーチは私も許しがたいと思いますが、言論の自由という重要な人権の前では、Necessary evilだと感じます。ヘイトスピーチの名のもとに、政府が好き勝手に国民の声を黙らせる世の中には絶対にしてはならないと思います。アメリカがヘイトスピーチをも言論の自由で擁護しているのは、そういう理由からです、これは世界で唯一、アメリカだけがしていることです。