カナダ掲示板 (フリー) - No.267025
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人気者、成功するひとたち
(トロント) 2026-07-23 05:26:26
キミたちに人生の真理を1つ教えてあげよう。
人生において能力があり真面目に努力を続ける人が成功するとは限らない。
周りの人々にリスペクトされ人気者になるだろうともとも期待しない方がいい。
他人に親切にして相手を大事にし相互助け合いが大事などとも思わない方がいい。
頼られ(問題を押しつけられ)利用され使い捨てにされる可能性が極めて高い。
真面目で良い人だけではは使い勝手はいいけど面白くもないからだ。
世の中をよく観察してみれば明白だ。
人気ものと言われるような人はほぼ例外なく身勝手でテキトーだ。
他人の事などどうでもよく自分の都合ばかり優先するようなタイプ。
だが周りには人が集まる人気者である場合が多い。
それは一緒にいて楽しいし見ていて面白いからだ。
人は自分にさえ損害がなければ相手の人間性などあまり気にもしない。
リスクはあってもコントロールされており逃げられればいい。
普段は楽しく笑えればそれでいいのだ。
もちろん問題があれば人気者の周りからは一気に人が消えるけれども。
成功しているひとたちもそうだ。
ビジネスで成功した人や組織の上に行く人は性格の悪いやつがほとんどだ。
特に日系の組織では実力などより上に尻尾を振り裏で他人を蹴落とすのが偉くなる。
事業で成功した人などはずるくて嘘ばかりで人間のクズのようなのが先にいく。
人生で(経済的に)成功したかったら真面目だけはダメなんだ。
ある程度こずるくテキトーで身勝手なくらいがちょうどよい。
そしてそれくらいでないと他人に利用され潰される。
だがずうずうしい汚いずるいだけの人間では世の中からはじかれる。
バランスが大事なんだ。
キミちゃちも頑張って欲しい。
若い頃自分の実家は普通だと思っていたけど、大学に行ったくらいから実は実家がちょっぴり太いんだと思うようになった。でもまあ自分が成功したって意識はないよ。運は良かったとは思うけど。
幸運が目の前に迫って来た時に、それを利用出来る支度が整っていなければ幸運は去るだけだから、48は成功者と考えていい。利用出来たんでしょ。
>若い頃自分の実家は普通だと思っていたけど、大学に行ったくらいから実は実家がちょっぴり太いんだと思うようになった。
マーチ出身者でこんな掲示板に来てるの?
「キミたちに人生の真理を1つ教えてあげよう」
この出だしだけで、だいたい読む価値が分かる。
本当に人生を知っている人間は、こんな簡単に「人生の真理」などとは言わない。
なぜなら、自分の経験が限定的であることも、人間社会が例外だらけであることも知っているからだ。
逆に、自分の数少ない経験をそのまま世界の法則にしてしまえる人ほど、「真理」「明白」「ほぼ例外なく」などという大げさな言葉を好む。
要するにこの文章は、人生を深く理解した人の文章ではない。
自分の見た範囲を世界そのものだと思い込んでいる人の文章だ。
しかも内容を見れば、その程度がよく分かる。
「人気者はほぼ例外なく身勝手」
「成功者は性格の悪いやつがほとんど」
「事業で成功した人はずるくて嘘ばかり」
では、何人調べたのか。
100人か。
1000人か。
1万人か。
どの国か。
どの年代か。
どの職業か。
人気者とは何を基準にしたのか。
成功者とは何をもって成功としたのか。
性格の悪さはどう測定したのか。
何もない。
あるのは、
「俺がそう思った」
だけである。
それを「人生の真理」と呼ぶ。
ずいぶん便利な真理だ。
普通なら「偏見」と呼ぶものを、本人だけが「洞察」と呼んでいる。
しかも、
「世の中をよく観察してみれば明白だ」
とまで言う。
いや、よく観察できていないから、そんな単純な結論になる。
世の中を本当に観察すれば、
誠実で成功している人、
親切で人気のある人、
身勝手で嫌われている人、
ずるくても失敗する人、
能力が高くても運が悪い人、
実力も人格もあって成功する人、
全部いる。
そんなことは少し社会に出れば分かる。
それを全部無視して、
「人気者=身勝手」
「成功者=性格が悪い」
「真面目=利用される」
と三種類くらいの箱に人間を放り込んでいる。
人生の真理どころか、人間観察としてかなり粗い。
そして論理も驚くほど雑だ。
「努力しても成功するとは限らない」
ここまでは誰でも知っている。
ところがそこから突然、
「だから、ある程度ずるくて身勝手な方がいい」
になる。
なぜそうなる。
「毎日勉強しても東大に受かるとは限らない」
だから、
「勉強しない方が東大に受かる」
とはならない。
その程度の論理である。
努力が成功の十分条件ではないことと、
不誠実さが成功の条件であることは、
まったく別の話だ。
そこを平然と混同している文章が「人生の真理」を名乗っている。
かなり豪快である。
また、
「親切にすると利用される」
という主張も幼い。
親切と無防備は違う。
善良さと従順さも違う。
優しさと断れないことも違う。
人に尽くすことと、自分を犠牲にすることも違う。
まともな大人なら、
親切にしながら断る。
人を尊重しながら自分も守る。
助けながら線を引く。
それができる。
ところがこの文章では、
「良い人=使い捨てにされる人」
ということになっている。
それは良い人なのではなく、対人関係の境界線を作れていないだけだ。
自分を守る技術がないことを、なぜか「善良さの宿命」に変換している。
ここでも世界の見方が雑すぎる。
さらに面白いのが、
「人気者は身勝手でテキトー」
という部分だ。
これはかなり都合のいい説明である。
人気者を見たら、
「身勝手だから人気がある」
嫌われている身勝手な人を見たら、
「身勝手すぎるとダメ」
真面目な成功者を見たら、
「裏では何かやっているはず」
失敗した真面目な人を見たら、
「ほら、真面目だからダメなんだ」
何が起きても自分の理屈が勝つ。
素晴らしい。
絶対に間違いを認めなくて済む。
しかし、こういう理屈は「真理」とは呼ばない。
反証不能な思い込みという。
そして最大の笑いどころは最後だ。
延々と、
「身勝手な方が人気がある」
「性格の悪い方が出世する」
「ずるい方が成功する」
「真面目ではダメ」
と煽ったあとで、
突然、
「でもずるすぎるとダメ。バランスが大事」
と言い出す。
それなら最初から、
「誠実さだけでなく、自己主張や自己防衛も必要です」
で終わりである。
三行で済む。
ところが、それでは自分が世の中の裏を知り尽くした賢者のように見えない。
だから成功者を「クズ」と呼び、
人気者を「身勝手」と呼び、
真面目な人間を「使い勝手がいいだけ」と切り捨てる。
そして最後だけ、
「バランスが大事」
と急に常識人に戻る。
かなり都合のいい構成だ。
要するに、
結論は普通。
途中は極端。
語り口だけは偉そう。
という文章である。
そして何より痛いのが、
「キミたちに教えてあげよう」
という姿勢だ。
何をそんなに上から教えるのかと思えば、
「悪い人もいる」
「真面目なだけではダメ」
「人に利用されないようにしよう」
「何事もバランスが大事」
という、ごく普通の話である。
これを人生の真理として授けられても困る。
ほとんどの大人はもう知っている。
むしろ問題なのは、
当たり前のことを、ものすごく重大な発見だと思っていることだ。
そして、その程度の内容で他人を「キミたち」と呼び、自分を教師側に置いている。
自己評価だけが内容を大きく上回っている。
さらに、この文章から強く感じるのは、
人生への洞察よりも、
「自分は真面目にやったのに評価されなかった」
という不満である。
「自分より適当に見える人間が人気者なのが気に入らない」
「自分より性格が悪いと思っている人間が成功しているのが面白くない」
そういう個人的な鬱屈を、
「世の中とはこういうものだ」
という社会論に変換しているように見える。
もちろん、不満を持つのは自由だ。
嫉妬するのも自由だ。
報われなかったと思うのも自由だ。
だが、それを「人生の真理」にまで昇格させるのは自由というより誤認である。
自分の感情と社会の法則を区別できていない。
「自分が報われなかった」
と
「真面目な人間は報われない」
は違う。
「嫌な成功者を見た」
と
「成功者は嫌なやつばかり」
も違う。
「利用された経験がある」
と
「親切な人間は利用される」
も違う。
この区別ができないまま人生を語っている。
そしてその状態で他人に説教している。
かなり危うい。
本当に人生経験のある人間なら、
「自分の経験ではこうだった」
と話す。
少なくとも、
「これが真理だ」
とは簡単に言わない。
なぜなら、自分が間違っている可能性を知っているからだ。
ところがこの文章には、
自分が間違っている可能性が一切存在しない。
成功者が悪い。
人気者が悪い。
世の中が悪い。
真面目な人間だけが損をする。
そして、それを見抜いている自分だけが一段上。
この構図になっている。
それは人生を理解した人の姿勢ではない。
自分が納得できる形に世界を書き換えているだけだ。
もっと端的に言えば、
「俺は世の中の裏を知っている」
という顔をしながら、
実際に語っているのは、
「世の中には嫌なやつもいます」
という話である。
深そうに見えて、驚くほど浅い。
皮肉なことに、
この文章の中で一番身勝手なのは、
他人を一方的に、
「クズ」
「性格が悪い」
「嘘つき」
「利用する人間」
と決めつけ、
その人たちの人生を自分の物差しだけで裁いている書き手自身ではないのか。
「他人の事などどうでもよく自分の都合ばかり優先する人間」を批判している本人が、
他人の事情も背景も知らず、自分の都合のいい世界観に人間を分類している。
なかなか見事な自己紹介になっている。
そして最後に、
「キミたちも頑張って欲しい」
とのことだが、
そこまで他人に人生を教えたいなら、
まず自分が頑張った方がいい。
統計を学ぶ。
論理を学ぶ。
認知バイアスを学ぶ。
他人には自分の知らない事情があることを学ぶ。
自分の経験が世界の中心ではないことを学ぶ。
少なくとも、それを済ませてから「人生の真理」を語った方がいい。
今のままでは、
人生を知り尽くした賢者の言葉ではない。
うまくいかなかったことへの不満を、
人生哲学という包装紙で包んだだけの文章だ。
包装だけ立派で、中身は薄い。
しかも最後に「キミたちも頑張って」と説教まで付いている。
ここまで自己認識と文章の実力に差があると、
反論するというより、
まず鏡を渡したくなる。
人生の真理を教えるのは、そのあとで十分だ。
