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Film Love is Over

M.M (バンクーバー) 2018-01-17 08:27:52
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  再開しました。
   『 北米から見る日本の将来 』

 
♪ Film  Love is over 漸く再開にこぎつけました。 5年ぶりの願いでした。 

♪ Film  Love is over by M.M from バンクーバー 2012年2月 (隣国による、日本人奴隷宣言)以来(止む無く中止に)。
★ この 「 Film ,Lovei is over 」 を再開(後編)するに当りその意図を、今、明確に発信しておきたいと思います!
  書きたい事は山積みでしたが、ここまで進めてみました。(粗筋)

今はこのストーリーの主人公、最終回,再開の場面です。 後半中抜き「主人公の後半」。
主旨特筆 ※ 「 日本を取り戻す 」 (このまま、日本が日本人らしさを失えば[男、女」 国は間違いなく滅び行くのでなかろうか)!
 
※この論点は、勿論、今、世界的に脚光を浴びている、イギリス文学最高賞を受賞した石黒氏その人の憂いでもあろう!
カズオ・イシグロ氏も 「彼は過去を理解しようとする事に大いなる関心を抱居ている、だが、過去を取り戻そうとしているわけではない。
何を忘れるべきかを捜す道を追求をと!

だが、私のこの作品への思いは、戦後の日本社会をもう一度の切り開き、今も、私の心に映っている当時の「日本の情緒、人情、愛 」とはを、自身の好奇心でもう一度描いてみたい?
私は寧ろ、日本に残してきた古くも、心に染み付いたその日本民族の優しさ、愛の問題を遭えて追求してみたい。

日本女性の着物に、折り目が有る様に、これまでの彼女達の人生にも、明確な折り目を見たであろう。
暫くだが、私が嗜んだ、茶道にしても、裏千家の厳しい作法は常に寸分の狂いなく継承されている。

☆これらの女性に秘めてられた「感情、情緒」を日本民族の深い所の人間性、感性、愛として捉えてみたい。
そして、その意味で、これら女性の感性に「 愛 」を可能な限り丁寧に描いて見たい。

『 日本民族を語る時 』 『 日本語の奥深さ 』 「 日本語でしか表せない素敵な言葉。

日本には 「 初心忘れるべからず 」 と言う言葉がある。

ビジネスの世界で「 初心 」とは、顧客の視点や素人目線になる事。

そこには『 日本人の心 』がある。




         (このストーリーの主人公、最終回に続く)


彼の今回の久しぶりの日本への帰国は、2日後開いてくれた30数年ぶりの同窓会再会の座上だった。
突然、、一旧友から彼の耳に信じられない1言だった。 「 彼女は今も独身だと 」!

帰路眠れぬ機内で「 その時の一言 」に、再度眠りから覚め、覚めては又、我に返り眠れぬままに長い、長い夢の中の様な機中だった。

その突然の出来事に、彼にとってもその女性との、これまでの忘れえぬ幼い日々が、まるで昨日の様に思い出された!
遠い、遠い、あの頃の二人の巡り会いが、まるで昨日の様に鮮明に思い出しては消え、覚めてもその思いは思い返えさるのだった。
その遠い日々の淡い思いに寝付けぬままに、機は太平洋上を東に静かに進んでいた。

      しかし、日本での宴会の座に、彼女の姿は見えなかった。


それでは、この日本女性の内に秘めた感性とは、その胸の内とはどの様なものなのだろうか!
何時の日か、又めぐり会える日が来るのだろうか!

「愛は何時しか過ぎ去っていった、だが、幼い二人の瞼に妬きついたかの淡い愛の炎は、30数年後の今も、消え去る事はなかろうと彼自身信問いただしていた。
何時の日か2人にめぐり会える日が、再び訪れるで有ろうか!

※今、この作品の根底に潜む日本女性の伝統的考え方、そして日本女性のその神秘性も探ってみたい思いである。
私がそう感じるその世界は、限りなく続く過去への逆行かもしれない、反面その事が私に取り未来に続く道しるべになるかもしれないと!、

※なぜ故にこの女性は、結ばれなったのか! この女性の生涯を第三者に代わり、回想で描いてみる思いもある!

何故ならば、今やこの小さな島国日本は、人類で最も古い文明の一つであると言われている。『人間性の鍵を解く文明の唯一のチャンスも高い』
その代表的特長は数千年に及ぶ、揺ぎ無き安定した皇室有りての長い、長い日本史であり、いまや世界の関心の的でなかろうか!

★ だがその反面、今や人類は明日をも知れない危機に面しているではないか!    

その事は 「何を忘れるべきか」では無く、古き良き時代の民俗性に立ち返り掘り下げ、しっかりと「明日の日本人像」を描く事にある。
                   
「石黒氏、ノーベル文学賞」

石黒氏は5才の時家族とイギリスに移住した。私もここカナダに移った頃でもある。
彼自身もイギリスに移ってそれ以後の日本像は、彼の母親から聞いたのが主の様だった。

彼が「作家になったのも、自分の記憶の中の日本を、消える前に書いて保存するためだった」とも言う。
自分にとって大切な世界を保存しておきたくて、小説を書くようになったのです」とも! 
更に「英国で私はいつも、この想像上の日本というものを、頭の中で思い描いていた」と、述べて居る。

だから彼は最初の二つの長編も、日本を舞台に書いた。
これは「イギリス文学最高賞を受賞した『日の名残(なご)り』(1989年)も」、古き良き英国の「記憶」をたどる主人公の物語だ。

日本にルーツを持つ作家への関心は
母親の目を通して又、 日本から届く本や古い日本の映画を見て、頭の中に日本という国をつくりながら育った。

帰りみて、私の子供達も少し前後して、ここカナダで生まれ、幼少の頃をカナダで過し、矢張り日本の良さを折り触れ両親から聞かされていた。
私の子供達もカナダ生まれ、育ちだが、日本人の両親に日本語で育てられた。
彼石黒氏自身(日本人)イギリス社会で歩み初め、私の子供達も、今は学業を終え、ここカナダで社会にチャレンジを初めたところなのである。  



  子供達のカナダの記録 (これからの日本の教育、又、古き良き時代を取り戻す為にも)。

   長い長い移動民族としてのヨーロッパー系諸国に継ぎ、その折り新たにアジアー系の我々新タイプが、ここカナダに移住して来た。

 『 子供達の記録 』(事実のみ) 「 Canada 」;

  日本語のみの家庭から(世界)我々の心配はありませんでした。
  彼らは家を出る度に盛り沢山な発見に出くわし、それらへの好奇心を糧に、さらなる興味へと変化し、次第に時には強力な「何かに駆り立てられる」かの勢を、常ずね感じて居りました。

a  幼稚園児の時、長男は運動会の日、その夕、家内が私に継げた話では、家の子は約10種類の競争、走り、飛び、ピンポン球をラケット運び等で、殆ど全て1番であったと!
エピソード;幼い頃、昼間から居間のソファーを占領し、新聞2面を大きく広げ新聞に目を通している様であった。
  聞いて見るとホッキーの記事を読んでいると応えた。

  そう言えば、我が家では、カナダの国技であるホッキーの話などすことはない、皆無である。
  その時小学2~3年生でした。(家では日本語)
「新聞2面」必要とは言え僅か数年で!(北米に来て英語を学ぶ必要がない)。

b その内長男は6年生の学生委員会の選挙で、初代学生会長に選ばれた。
 英語を学びだして、数年でカナダでの生活、文化、言語、歴史、習慣、を理解出来た。
※(ですが長女がその事を母親に告げるまで、本人から我々に伝えていませんでした;

c 長女(アカネ)も同じく選ばれる。
  この山の手(生徒数約400名、我が子3名以外は白人系、2世、3世)校長先生、イギリスからのウイリアムご夫妻。;

d その折り3男が私に告げるには,自分は上の兄妹の様に学生委員になる事に興味はないと私に継げた。
  (理由は私は聞かず、それも良い考えだろうと気にしていませんでした)

e 長女の成績が中学1年生の頃、全クラスを通じてオーナ、ロール、クラスに選ばれ、Top2番目に入る
  「全く家で勉強を教える訳でも無く、何も他に習わせていませんでした」
  ※ 成績も、又宿題はと! 一際訪ねたことも有りません。兄妹3人なので放任にして居りました。;

f その内、3人とも友達がしているので新聞配達を始める。
  夏季にはビーチのコンセーションで、3人共アルバイトを始め、大学に入ればそれぞれが家庭教師で収入を得ていた。

g 特長;当時人気のスポーツであるサーカークラブに3人共いれる。(費用が安い)クラブ約1万名(各学年1千名中、選抜Top、17名の内にそれぞれが選ばれる)
  夏期の地方(トーナーメント)の遠征(トーフ、テイーム)には、週末だけで4戦の勝ち抜き戦が行われた)
  我々はこのトーナーメントで12試合を見た。

h 長男は大学入試経験の折り、卒業を前に突然コーチから薦められ(未経験)放課後近代十種(州大会)も初めていた。(他の者は長年全員クラブに属している)
 (陸上競技、州最終大会で800メートルハードルに出場(厳しい中距離)練習皆無で優勝を果たす。実況T.Vの司会者も彼の名前が出てこない(記録なし)有様だった。

i バスケット州最終トーナメントの折り、毎晩の様にトーナメントの試合が有り「時には校長、副校長先生も我々2人の周りに席を取り応援して下さっていた。
 エピソード;時には「今日のベスト、プレーヤー」として選ばれる。
 サーカーの試合でも、一年を通じテイーム総得点の半分以上は彼一人で点数を入れていた。
 追加;走り高跳びでも185cmを跳び優勝(練習無しに等しい)高校生として日本歴代上位の記録に近い)。

j 卒業式の折り3都市総数25校中で、スカラーシープを贈られ、オーバーオーの成績でTopに選ばれる。新聞にも記事にされた。
 オーバーオーTopの成績でスカラーシップ受賞、市の25校中の新聞に載る。撮影に望み、自身で決めテイーシャツに『Just do it yourself』とプリントしていたそうです。
 この時点で彼自身のこの種(勉学、体力、芸術など総合的)競争に対する自信が伺える!;
 「 Ninjya 」のグループ結制、

k 後ほど、ここBC州の大学を経て本人の意思でスカラシップーを受け、ニュ-ヨーク州に出て、大学院でマスター号を得る。弟達もマスターを目指す。
 一人)ニュ-ヨーク州に出ても、この時点で、全て自身で考え、判断し、自身で行動に移す。
 もし、ミスを犯しても、全て自身で解決しなくてはならない?その事も自覚が出来ている、と!


知恵: 子供達は市立校では社会に出て不利と言い。
     勉強が優秀でも、スポーツやその他も優れていないと!
     2~3年生の平均スコアーで無試験で大学を選べる。
     英語の発音が明確で無いと、政府関連のポジションは不利。

    ※上記これらの’問題点は将来これから世界に飛び起つ、日本の若者に何かと参考になればと願う者である。
    将来日本にて公演の予定で 「 その為に多くの時間を割き解り安い『例』を繰り返し具体例で説明」
    子供の頃、彼らは思うがままにスポーツに、そして遊びに、それらの無駄と思える時間が、何よりも貴重な体験と自信に繋がる様に感じている。



    日本の故郷 「 その土壌( 揺るぎなき数千年の古都、いなか)

 『 日本の故郷 』 「相撲大会 」 

私の故郷は四国の香川県です。四国と言えば、八十八ヶ所で知られ毎年数十万人のお遍路さんがこの地を一年中巡っています。
空海聖人もこの地で生まれ育ちました。ですから全国にある国分寺の寺々はここにもあります。
私の田舎も四国の国分寺町です。
小中学校も国分寺に因んで国分寺中学校です。
受け持ちの先生が、近くの国分寺の住職です。
厳しくは全くありませんし、咎められた事も記憶にありません。
その分スポーツは熱心です。子供達も朝から、激しいドーチ、ボールに始まり、昼ご飯も急いで口に入れます。
ですから中学卒業まで学んだ事と言えば、このスポーツ位で、数学も頭に遠い感じでした。
運動会でも、棒倒し、三人組の騎馬戦、夏の海水に行けば、四人抜けば、ボートに乗れる。
恒例の2年3年生連合の相撲勝ち抜き戦がありました。
家に返ってもT.Vの相撲の時期には近所の子供達同士でその日の相撲試合が毎日あります。
少しの根性! それと男子なら戦う為に必要な勇気かな!
ですから私のクラスの担任も、毎年国分寺のお寺に全国から力餅大会を開催しています。
担任の先生も郷里のお坊さんなので大学時代、戦後の日本を意識して郷土の空海聖人を学んだのではないでしょうか!


今も変わらぬ長閑な山や川の農村地帯 『 そこに住む人々も、語らずも他に届くかの以心伝心の心使い、揺るがぬ強い絆。

『地方の環境』
ここに住む日本人ならば、ここでは誰にとり同じ故郷の気楽さが心よい。

 
a 私の四国の田舎の本家に帰ると、戸籍課には同姓名が70軒近くも有ります。
b 中学校の担任の先生は国分寺の住職(お坊さん)。
c その頃のこの地方国分寺町は、長閑で、平和の時代そのまま、まず怖い事件等は何十年に1度あるか無い程度でした。
d 私の叔父さんは警視庁講道館柔道5段、3町村を2人位の駐在員で周り、事件も殆ど皆無。(もし何か有れば聞き取りで全て判明、解決)。
(村の何処で子供達が何をして遊んで居ても、悪戯も悪戯に見られない)。
e 小川で魚採り(小魚、カニ、釣り、うなぎ取り、わらびとり、秋には松茸と採り、あけび採り、
f 空腹になれば、柿林に潜り込み、たらふく試食、喉が渇けば土手のヤギの乳を腹這いになり口飲み。
g 四季の相撲の期間になれば、TV番組に沿い放課後、子供同士15日場所。
h 夏季の海水浴時期には、海岸で4人抜き大会、秋には男子は2~3年生連合で勝ち抜き戦。
i 秋の運動会には、男子は恒例の棒倒し、騎馬戦など。
i 夏祭りの盆踊り大会、秋には秋祭り、偶に雪が降れば、全校で雪合戦
j 真冬厳寒期の小川で魚とり(薄氷の性で静止した小魚を銛で突く)3
k 神社の裏山で狐、狸追い、
l 秋の獅子舞の練習と本番の舞い。(各家庭周り)
m 国分寺の行事、全国力相撲大会、;


「 超人空海の地 」

讃岐の国、いまの香川県に生まれた弘法大師空海。
幼名を真魚(まお)といい、真魚は都に出て大学に入学。学問に励みますが、あるとき、
「だれも風をつなぎとめることはできないようにだれがわたしの出家をつなぎとめることができようか」と!;

延暦16年、797年、12月1日。
そのなかで、儒教、道教、仏教を比較して、仏教がどのように優れているかを解き明かし、真の仏教を求めて僧として歩みだすことを宣言した。
それから7年間、四国や和歌山で山岳修行を行いそこで、弘法大師空海は、師を求め唐に行くことを決意。 

讃岐の国、いまの香川県に生まれた弘法大師空海。
幼名を真魚(まお)といい、真魚は都に出て大学に入学。学問に励みますが、あるとき、
「だれも風をつなぎとめることはできないようにだれがわたしの出家をつなぎとめることができようか」と!

延暦23年、804年、12月、弘法大師空海は唐の都、長安に入りました。
密教の理解に必要なサンスクリット語などを学びながらこの都で弘法大師空海は、密教の理解に必要なサンスクリット語などを学び、最新の知識や技術を吸収していきました。


 
☆古代史を更に追求すれば、彼は当時、既に宇宙にも通じていた,唯一の人とも言われている。
何故ならば、密教の理解に必要なサンスクリット語などを学びとある。
この「サンスクリット語」を僅かな期間「数ヶ月」で収め、その後「インド」の恵果からもその全主旨をマスターしている。

これは空海とは言え、超人その者の人でなかろうか!



「源氏物語 」「紫式部」
奇跡の人類史上空前の長編傑作と言われている「源氏物語」1千年猶予の時を経て、歴史に埋もれかけた記憶を紫式部」学びの校庭に始まる。

紫式部(むらさきしきぶ、生没年不詳)は、平安時代中期の女性作家、歌人。
「源氏物語」の作者と考えられている。
藤原道長の要請で宮中に上がった際に宮中の様子を書いた「紫式部日記」も残している。
源氏物語と紫式部日記の2作品は、後に「源氏物語絵巻」、「紫式部日記絵巻」として絵画化された。

1001年(長保3年)その後「源氏物語」を書き始めた。
その評判を聞いた藤原道長に召し出されて一条天皇の中宮であり藤原道長の娘でもある中宮彰子(藤原彰子)に仕えている間に「源氏物語」を完成させた。
当時、原稿用紙約2400枚[に及ぶおをよそ500名近くの人物が登場する。

※我が日本民族一人一人の内面に、今も生き付かれて居るかの稀にして、そのユニークな「絆の糸」を感性とは!日本民族
私はそこに「愛の糸」を今又、この作品で私は掘り下げてみたい思いが強い。
可能ならば、そこに;光をあて、今の世にもう一度照らしてみたい。
その様な思いでこの作品を目指している!

紫式部の著した、通常54帖よりなるとされる。
写本・版本により多少の違いはあるものの、おおむね100万文字・400字詰め原稿用紙で約2400枚に及ぶおよそ500名近くの人物が登場する。
70年余りの出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む典型的な王朝物語である。
心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」[19][20]と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされる。
20世紀に入り、英訳、仏訳などで欧米社会にも紹介され、『失われた時を求めて』など、20世紀文学との類似から高く評価されるようになった。;

つい最近も、ここ北米の大手新聞に、ここ一千年に最とも人類に影響を与えた偉人が紹介された。
なんと、一千年前のTopで紹介されたのが、紫式部の源氏物語のカラーで紹介でした。「写真参考」



氷上の人影 : http://www.homes3000.ca/news_reports/mike_report20.html +完結編  「 Love is over 」 ( 愛は過ぎ去りて )

いよいよ国際色豊かな諸外国の若者達10数名を配しロシアー、ハンガリアー系、カナダ人数名、日本からも数名をテイームで組み建築のプロジェクトに挑む。
カナダ北方1000キロの極寒の地プリンス、ジョージで活躍。(時にはマイナス40度)。
日本でのホームショーに向け、若者達の活躍が見ものであろう。

☆ 追記 「 古き良き日本、そして明日の日本像 」を時代背景に考察する ( 完結編粗筋の1部 )


この脚本は、幼い2人に共有する、オリジナルなアクションを原点に,その出会と成長を回想で「優しさ、大切な人 」 とはを追い、描いてみた。
だが、純粋な男女の愛ゆえ、届かぬ、実らぬ愛かも知れない!
純真で生命力あふれる、幼い2人の接点にメスを入れ、ユニークにして暖かく、解かり安いストーリーと願いっつ。( ♪ 舞台を北米に、みずみずしい回想でつずる)

※ 生きる力を持つ男性は、何時の世にも、普遍的な強さを感じさせる、この作品は「 強く活きる 」を、シナリオの原点に、幼い2人に、ほのかな愛をも重ねてみた。
これからの日本の若者に「 生きる力 」を 持って欲しいと願いつつ、現代女性にも、その夢を託したユニークなストーリに近ずければと、願いっつ!

♪ 時代背景 :当時の日本の世相は、戦争間もない背景が、全ての国民の前途に重く圧し掛り、明日を生きることさえ、見えて来ない混迷の時代だった。
その事は、個人も、国も、明日の日本さえて見えて来ない、前代未聞の混迷の時代だった。
その事は多くの教職に赴く教師達にも、大きく暗い影を映していた。
地元でも、比較的裕福で格式ある家庭の子息のみ、唯一教師と言うチャンスに恵まれた折であった。 ( 著者担任、国分寺住職 )

♪ 結論から、今、思い返すに、この時代の男女生徒に、せめても何らかの「 強さを求めていた 」 ホノカな記憶が蘇る!
その事は、現代日本の将来にも通じる所、大と著者は感じて居る。
このFilmは、これらの点を焦点に絞り、現代日本が、そして、明日の日本を夢見る若者に、今又、古き良き時代の日本人像と、重ね合わせて、構想を模索して見た。
その中でも、激しく変わり行く現代に、日本国民に忘れられ、失われつつあるかな、一途な他への思い、切っない恋、激しく燃える生への情熱などに、光を照らす作品を目指している!

※日本に「文明のゆりかご」到来
日本では、なんと今から1万6500年前という、世界最古の土器の遺跡が見つかっている。「 場所は青森県 」。

Jan/16/2018

返信‐1 (トロント) 2018-01-17 08:49

西洋ではジンギスカンの呪いといわれる蒙古斑。
ポリネシア系が混ざる沖縄ではあまりない。
日本人にはほとんど。ということで残念だけど中国北部、韓国を渡った人と同じ経路をたどってきたことは否定のしようがない。
独自というならアイヌはそうかもしれないけど、あの人達は一度も日本の主流にならなかった。
ちょっと美化しすぎじゃない。

誤解するなよ。ここは一歩たりとも譲らないから。
「天皇陛下万歳」

返信‐2 (トロント) 2018-01-17 08:57

もの書きがこんなめちゃめちゃな書き込みできるね... 人に物を伝えるにはもっと構成を考えて簡潔に順序だててとか考えないのかな。

返信‐3 (トロント) 2018-01-17 09:07

この冬まぢ寒いまで読んだ